娘が私たちのもとへがやってきてから、あっという間に一ヶ月あまりがすぎました。
早かったのか、永かったのか、わからないうちに過ぎたという感じです。
曜日の感覚はなくなるし、昼夜の感覚もうすれていきます。
例えば、10月17日は、私たちの結婚記念日でしたが、
いつものように追われているうちにすっかり忘れてしまっていて
夜遅くに気づいて、はっとしたり。
毎年楽しみにしてささやかながらお祝いしていたのに、吹っ飛んでいました。
出産前までは、寝ることが大好きで、
最低でも7〜8時間以上連続で寝なければ翌日調子の悪かった私が
今は2〜3時間おきの分断睡眠で過ごせているなんてね。
人は環境の変化に意外と順応するものなのねと、ヘンに感心したり。
さて、ずいぶん遅くなりましたが、命名紙をリビングに貼りました。
この命名紙、書家の友人が出産直後に書いて
プレゼントしてくれていたのですが
毎日追われているうちに、貼る時間もとれず…。
やっと先日飾ることができました。
子どもに名前をつけたら、命名紙を部屋の目立つところに貼るんだ。
両家の親にも渡さなくては!
と、命名紙に対する妙なこだわりが、いつの頃からか私にはありまして、
出産前からいろいろと思いを巡らせていました。
今は、男女別にデザインが様々にあるお洒落な用紙も多く、
自筆はもちろん、パソコンできれいに名前を印字することもできたりするようですが
私のイメージは、断然墨汁をすって半紙にかいたもの!
…が、だれが書くんだ、いったい!
夫は目が見えなくなってからはパソコン中心で字を書くことがなくなりましたし
私は、左利きのため(ということを言い訳に)、右手で筆を扱うのが下手で
見た人が失笑するほどの、ものすごい悪字。
何度も書道を習いに行ったものの結局ものにはなりませんでした。
そんなわけで、なかなか人様にお見せできるような字や
記念になるような書を書くことができません。
そこで、知り合いの書家・
大倉杏真さんに、命名紙を書いてもらうことにしました。
杏真さんの書は、彼女の溌溂とした性格そのままに
とてもダイナミックで、字が自ら動き出しそうなほどに生き生きとしています。
思えば、
夫の本が出版された際の出版祝賀会の横断幕や
院生みんなで企画した指導教授の還暦祝い等、
しゃんと背筋を伸ばして祝いたい記念の時には
彼女がいつも美しい字で祝いの書を書いてくれました。
今回も、娘の記念すべき命名紙はぜひ杏真さんの書で…とお願いしようとしていたのですが
私の入院が長引いて愚図愚図している間に時は過ぎ、すっかり機会を逸していたら、
人づてに命名紙のことを聞いた彼女が、
準備万端、用意を整えていてくれました!
でき上がってきたのが、写真の命名紙です。
娘の名前を聞き、彼女がイメージを膨らませて書いてくれたのだそうです。
語らずとも思いは伝わっておりました。
一目見た途端、わぁと声をあげてしまいましたよ。
リビングの一番目立つ壁面に飾り
授乳の際や、うとうとうたた寝しながらと、毎日のようにうっとり眺めています。
毎日眺めているのに、
命を吹き込まれたかのように、字は日々生き生きと見えてきて
見るたびに違って見えるような気がします。
それは、私たちが日々娘に新たな発見をしていく過程と似て
同じ速度で、見る者の気持ちを投影して様々に変化しているような気がするのです。
こうやってみると、名前を得ることによって
人は本当に一人の人間として見なされて一歩を踏み出し、生きていくのだと
しみじみ感じられます。
まさに、名前によって命をふきこまれるということか。
葉書サイズに書いたものを、ポートレイト用の台紙に貼ったものも
プレゼントしていただきました。
左側に写真を挟み込めるようになっています。
家族の写真を撮り、いつか娘が大きくなった時に渡そうと思っています。
娘への贈り物が、ひとつ増えました。
生後一ヶ月と19日のショット。
抱っこが大好きです。